肝CoインタビューVo.2

拠点病院ではない。
それでも、肝Coは「続けられる形」をつくれた
─ 役割が見えなかったところから、
“一人にしない”チームへ─
看護師 上利早紀さん
肝炎医療コーディネーターになったきっかけを教えてください!
「本当に、一言でした。」
上利早紀さんがそう振り返るように、 きっかけは外来師長からの何気ない声かけだった。
「こういう資格があるけど、取ってみない?」
当時すでに、院内には「肝炎対策チーム」があり、肝炎医療コーディネーター(肝Co)として活動している外来看護師が一人いた。
そのため、上利さん自身は 「自分が中心になって何かをする」 という意識は、ほとんどなかったという。
研修を受け、資格を取得した。 けれど、何をすればいいのか分からなかった。
拠点病院ではない。 相談窓口があるわけでもない。 役割がはっきりしないまま、時間だけが過ぎていった。
状況が大きく変わったのは、どんな時でしたか?
「突然でした。」
それまで肝炎対策を一人で担っていたリーダー肝Coが退職し、 十分に引き継ぎがないまま、 その役割を引き受けることになった。
患者の拾い上げ、結果説明の確認、会議の調整・報告。気がつけば、自分一人ですべてに対応し、「とにかく大変でした。」
「考える余裕もなく、 やらなければならないから、ただやる、という感じでした。」と上利さんは振り返った。目の前の業務をこなす日々。 決して余裕はなかった。
それでも続けられた理由は何だったのでしょう?
上利さんは、迷わずこう答えた。
「患者さんのためです。 自分のためでも、病院のためでも、医師のためでもない。」拾い上げた患者さんが治療につながった時、 「この人、治療になりましたよ」と医師から聞いた。
「数は多くなかったです。 でも、その一人がいたから、 “やってよかった”と思えた。」
使命感に近い思いで、 上利さんはその時期を走り続けていた。
変化のきっかけは何だったのでしょう?
転機は、肝炎医療コーディネーターの活動を 積極的に支えようとする肝臓専門医の赴任だった。
それまで、会議に「参加するだけ」だったチームが、 少しずつ変わり始めた。
「肝炎ウイルスの拾い上げは重要です。」医師のその一言が、 活動を“個人の頑張り”から病院全体で考えるべき課題へと引き上げた。
チームはどのように変わっていったのでしょうか?
肝臓専門医の関わり方は、 指示や命令ではなかった。「一緒にやろう」 そのスタンスが、現場の空気を変えた。
検査部、外来、病棟、看護師、メディカルクラーク。それまで「会議に出ているだけ」だったメンバーが、一人ひとり役割を担うチームへと変わっていった。
役割が見えると、 不思議と動きやすくなる。 活動は、少しずつ安定していった。
それでも、負担は残っていたのですね?
以前より活動しやすくなりましたが、「正直、楽になったわけではなかったです。」
さらに病棟への異動。 そして、自身の病気。
その時、はっきりと感じた。「このやり方では、続かない。」
一人に負担が集中する体制は、 誰かが抜けた瞬間に崩れてしまう。 それを、身をもって実感した。
そこから、どう考え方が変わったのでしょう?
「“後任を育てる”というより、 “最初から一緒に担う”形にしないといけない、と思いました。」
肝臓専門医と相談しながら、 みんなで担当する役割を分け、流れを共有する。強制するのではなく、一緒に考え、一緒にやる。いわば、二人三脚の体制だった。
「自分が抜けても回る形を、 今のうちにつくっておかないといけないと思ったんです。」
振り返って、いま伝えたいことはありますか?
上利さんは、少し考えてから、こう話してくれた。「最初は、何をしていいか分からなかったです。
でも、流れの中で役割が生まれて、活動が継続できる形ができていきました。」
そして、こう続けた。
「特別な病院じゃなくてもいい。 特別な人じゃなくてもいいと思います。」患者さんのために、 ひとりひとりが少しずつ関わっていく。
それだけで、 肝炎医療コーディネーターの活動は、ちゃんと続いていく。




